1floor 「No potato of name」作家インタビュー


1floor 「No potato of name」作家インタビュー2008年6月/神戸アートビレッジセンター)


http://www.kavc.or.jp/art/1floor/08/interview/interview03.html

HELLO



ハローハローこんにちは。
僕はここにいます。
そしてなんとかやっています。
あなたはどこでどうしているのだろう。
そこには何がありますか?
どんな景色が見えますか?
いつもと違う車両に乗ってみたり、
壁に写真なんぞ飾ってみると、
なにかが変わるかもしれないし、
なにも変わらないかもしれません。
それでも僕は、とにかくいつも
あいさつから始めるのです。

Something like that



 たとえばそこに「何か」があったとする。そこに「何か」があるということは、そこに「何か」がある と人が認識したということです。認識の仕方も、美しいとか醜いとか、必要とか不必要とか、本当にある のか、あると感じているだけなのか、など見方やとらえ方によって様々にその姿は変わります。また私達 は、アレよりも大きいだとか、優れているだとか、幸せだとか、「何か」と比べることで自身や物事を測 る事もあります。私達は常に「何か」と関係することでこの世界を捉えているのだと思います。  

 余白のような物。間(ま)のような物。地と図の「地」のような物。とある物。...のような物。 私は「特定の何かでは無い『何か』」という曖昧な存在に形を与え、それを展示する事で、鑑賞者それぞ れによって、見え方の異なる空間をつくりたいと思います。  

 私の作品が鑑賞者とこの世界の間に登場し、「存在すること」について測る為の一つの基準となること を望んでいます。

ある事のかたち



いろんな人がいて、
いろんな人生や考えがあって、
犬や猫や町や会社やルールなどがあって、
それらが関わり合ってこの世界があります。

近づくと部分が見えてくるし、離れると全体が見えてきます。
目に見えるものもあるし、目に見えないものもあります。

美しいとか醜いとか、正しいとか間違っているとか、物事は判断することができるし、
コレはコレ、アレはアレといったように区別することもできます。
何かを形作れば、何かが明確になり、他の何かでは無くなります。
そして形があるものは壊れることもあります。

世界は見方やとらえ方によって様々にその姿を変えます。
存在するとはどういうことなのか、
私は何をもって存在していると言えるのだろう。
ここにあるモノは何をもって存在していると言えるのだろう。

私は様々な関係性に着目し、何かを描いたりを形づくることで、
世界のとらえ方や存在について探っていきたいと考えています。

メガネフレーム



モノの輪郭をなぞり、形を写し取る。
間の抜けた図形や、模様のようにも見えるそれらの形は、
中身の抜け落ちた「ぬけがら」みたいなもので、
そのモノが確かに存在していたことの証拠だ。

私はその「ぬけがら」を、
重ねたり繋げたりして風景を作り出す。
パズルのように、形にあてはまるモノを想像することで、
初めて見えてくる風景だ。

見方しだいで、世界はどの様にも変わって見える。
今日はどのメガネをかけようか。

プロフィール



吉田周平。1980年石川県生まれ。成安造形大学デザイン科写真クラス卒業。公と私・聖と俗・身体と空間など、自分と社会との関係性の中から存在について問う作品を展開。日用品や日常生活の記録を用いたインスタレーション・写真・映像作品などを制作。

untitled



たとえば目の前にあるこれ。
台所のテーブルの上に置いてあります。
奥さんがどこかで買ったか、 誰かから貰ってきたものです。
 私が選んで買ったものではありません。


きれいな円です。
指先でつつくとコツンと音がします。
重さは300グラムくらいでしょうか。
無色透明でどこにでもある様なデザインです。
よこから見ると部屋の中のものが歪んで見えます。
今はまだ触ると冷たいです。
落とすと割れてしまうかもしれません。
そうしたら紙に包んで捨てにいきます。


おとといはビール。
きのうはウイスキー。
よく飲みすぎて怒られています。